新年のご挨拶


一器(いっき)の水を一器に伝うるが如し。少しも遺漏(いろう)なし。
新春を迎え、皆々さまのご多幸とご安寧をお祈り申し上げます。
この度、若輩ながら興教寺の住職を預からせていただくこととなりました浅摩泰真と申します。師匠、昭雄東堂の実子であり、この興教寺で生まれ育ちました。我が子らがお寺にお参りに来られたお檀家様に温かく声をかけていただいている姿を目にすると、自分の幼少期と重なり、多くの方々に見守られながら成長してきたのだと改めて実感します。
仏道修行は幼少期から始まりました。ある日、師匠から「ご褒美をやるぞ」と言われ渡されたのがお経本だった時は、大変複雑な気持ちでした。しかし、僧侶として自覚し歩み始めた時に、いつの間にかそこに書かれているお経が頭の中に入っている事に気が付いた時に、楽しく修行させてもらっていたのだと有難く思いました。
冒頭の句は、昨年、700回大遠忌法要が厳修された瑩山禅師が弟子たちに語られたものです。簡単に申し上げれば、「師匠から弟子へ一滴の水をもこぼさず脈々と教えを受け継ぎ実践していきなさい」ということです。祖父も師匠も教員として勤務しながらこのお寺を護って来ました。私は教員免許を持ちながらも、時代の流れで、両方勤めることが叶いませんでしたが、今は仏教を広めるお役を頂戴して多方面で修行させていただいているところです。また、今では寺に住するものの勤めとして可能な限り家族とともに朝のお勤めを行っています。修行の本質はこの世を安楽に生きる生き方の実践であります。先代住職が伝えてきたお釈迦様の御教えを後世に、そしてお檀家の皆様に伝えていけるよう精進して参ります。
例年同様、元旦の三朝祈祷を行い、皆さまの一年の平穏無事をお祈りしました。
檀信徒の皆さま、本年もどうか呉々もご尊体ご自愛くださいますようお願い申し上げます。重ねて皆様のご健康とご多幸を祈念申し上げ、新年のご挨拶といたします。